What's the difference?

他の格闘技とどう違うの?

柔道とどう違うの?

スポーツはゴールを目指して行うものです。柔道と柔術では、このゴールが違うことが一番の違いです。柔道は、きれいに投げることや抑え込むことがゴールです。それに比べて、柔術は身を守りながら相手からマウントポジジョン(馬のりの体勢)をとって絞め技や関節技で参った(タップ)をとることがゴールです。柔術は昔の柔道から発展したので、柔道の技は全て使えます。ですが、柔術の試合は、柔術のゴールにちゃんと向かった方が勝ちになります。例えば、最初にどんなにきれいに投げられたとしても、その後にマウントポジションをとった状態で制限時間が終了したら、マウントポジションをとった方の勝ちです。雰囲気も少し違って、柔道は心身の鍛錬や人間形成も大事にした、まさに日本の国技って感じのスポーツですよね。それに比べると、柔術は堅苦しくなく気軽な感じで、実際の戦いでの有効性や自由な精神を大切にした現代のスポーツといった感じです。

レスリングとどう違うの?

柔道との違いと同様になりますが、レスリングの場合、ゴールはタックルして倒して相手の両肩を床につけることです。それに比べて、柔術は身を守りながら相手からマウントポジジョン(馬のりの体勢)をとって絞め技や関節技で参った(タップ)をとることがゴールです。レスリングの技術や体力は柔術でかなり役に立ちます。また、柔術の技術体系の中には簡単なレスリングの技術も含まれています。私の経験上、レスリング経験のある人はスムーズに柔術が上達します。ちなみに、柔術はアメリカで流行していて競技人口が増加しているスポーツですが、それにはレスリングも少し関係しています。アメリカでは学校の冬の体育がバスケットボールとレスリングなんですね。しかも、カレッジレスリングというレスリングで柔術にルールが近いんです。ですから、取っ組み合いに抵抗がなく、格闘技の気持ちよさを知っている人が多いんです。レスリング経験者の方には、柔術は特におすすすめです。また、レスリング未経験者の方(普通はそうだと思いますが)は、レスリングは体力がいりますのでレスリングのみを大人から習うというのはちょっときついかもしれません。それでも、柔術の中でできる範囲でレスリング技術を身に着けることはできます。是非、レスリングの技術も楽しんでいただきたいと思います。

MMA(総合格闘技)とどう違うの?

MMA(総合格闘技)はまさにUFCを想像していただければいいですね。「柔術とは?」を読んでいただくと理解していただけると思いますが、MMAと柔術は打撃がないだけでなく、ルールや雰囲気もかなり違います。そもそもは柔術を広げるために始まったUFCですが、UFCの発展と共にMMAはエリートスポーツやエンターテイメントとして発展を続けています。この下の「どうして打撃がないの?」で書いていますが、柔術はそもそもは1対1のなんでもありの格闘技でしたが、実践性と安全性、教育面から現在の柔術の形に発展してきました。MMAにおける寝技の基本は柔術ですので、今もMMAと柔術はリンクしており、柔術で発生した新しい技術がアレンジされてUFCの舞台で使われるということはよくあります。しかし、20年前は柔術をある程度習得してからプロのMMA選手になるという流れも主流でしたが、MMAは、MMA独自のルールで勝つための技術が日々進化していますので、現代ではMMAを始めたい方は最初からMMAを始める時代になっています。MMAの選手になってUFCの舞台に立ちたいという若者は、しっかりした環境と実績ある選手の揃ったMMA専門の道場で練習するのが良いと思います。その一方、一般的な社会人の方が仕事や家庭を持ちながらMMA選手になることは、今やかなりハードルが高く、ちょっと覚悟がいることかもしれません。それに比べると柔術は、さすがにUFCの舞台にはおそらく立てませんが、大人から始めても、仕事や家庭と両立しながら楽しく続けることができますし、めちゃくちゃ強くてカッコいい男になることができます。そして、毎日を楽しく健康的に過ごすことができますので、一般社会人の方に柔術はおすすめです。(ちなみに、小中高生のお子さんがMMAに向けて柔術を始めるというのはとても有効です。「MMA選手になりたい!」というお子さんがいる親御さんや「MMA選手にさせたい!」という親御さんには、キッズ&ジュニア柔術がおすすめです。)MMA選手の方も、UFCの選手はほとんどが柔術黒帯ですし、組み技の技術向上に柔術の練習は有効だと思います。また、引退後にライフワークとして一から黒帯を目指すのも楽しいかもしれません。カルぺディエム盛岡は基本ウェルカムですので、是非クラスに参加していただき、柔術の技術も楽しく磨いていただければと思います。

どうして打撃がないの?

柔術に打撃がないのには、ちゃんとした理由があります。そのことについて、少し説明していきます。

1.最強の格闘技として君臨していた柔術

柔術はそもそも、なんでもありのストリートファイトを想定した格闘技です。そして柔術は、「最強の格闘技」なんて言われていた時代もありました。なんでもありのストリートファイトで相手に勝つ最も有効な方法は何だかわかりますか?それは、相手からマウントポジション(馬のりの体勢)をとって制圧してから、首を絞めたり、関節を壊したり、顔などの急所を攻撃して相手を動けなくする戦い方です。(単純に、この戦い方が他の格闘技になかったので、他の格闘技はこの戦法を防ぐことができませんでした。ですので、柔術は「最強の格闘技」と言われていました。)…こう表現すると、なんて野蛮なのでしょう。恐ろしすぎます。でも、しょうがありません。格闘技ですので、その始まりはいたってシンプルなのです。しかし、現在の柔術はこれとはかなり違って、とても安全な格闘技のスポーツになっています。

2.柔術から打撃がなくなったのは退化ではなく、「進化」

ここからが注目すべきところなのですが、ブラジル人の柔術家達は、この戦い方を算数や理科のように誰もが習得できるようにわかりやすく体系化したのです。こういうときは○○する。相手がこうしてきたら○○するという風に手順をしっかり決めました。しかも、相手が本気で抵抗してくることを前提として。(この点も、他の格闘技と違うところです。)当然、相手は色んなやり方で抵抗してきますので、色んな対応策の手順を習得しなくてはなりません。ですから、マウントポジションをとること一つとっても、その手順を習得するには、長い年月がかかることになります。

ここで考えていただきたいのですが、手順の習得が未熟なうちにマウントポジションから殴るなどの打撃があるとどうなるでしょうか?顔をボコボコ殴られて、みんなすぐにケガをしてしまい、練習ができなくなってしまいます。そうすると柔術の技術はいつまでたっても上達しません。本来、殴る蹴るよりも、まずは相手を制圧することが大切なのに、それができない人ばかりになってしまいます。このため、多くの人がしっかり柔術の本筋である「身を守りながら相手を制圧する」技術を習得できるように、柔術は打撃が除かれて教育的に改良がなされました。その後、さらに現代的な発展を遂げたのが、今世界中で習われている現代の柔術です。

3.数と多様性が生み出す質の発展

これは、素晴らしい発展でした。多くの人が柔術の技術を身に着けることで、さらに柔術の技術は爆発的に進化していきます。格闘技の練習というと、山にこもってひたすら正拳突きをして修行するイメージを持ちやすいのですが、悲しいことに実際の戦いでは、その正拳突きが当たらなかった時に別の手段がないと、あっさり負けます。ですので、実際の戦いで大切なのは、「実際に起こりうる多種多様な状況に対して、適切な対応を身に着けていること」なのです。これは現代の一般社会で働いている人であれば当たり前のことだと感じるはずです。社会人の方が実際の仕事現場で必要なスキルと同じですよね。研修資料を10回読んでも、「いらっしゃいませ!」と1000回叫んでも営業成績は上がりません。格闘技も同じです。

実践的なスポーツでは、数と多様性によって質の発展を生み出した方が、質は倍増していきます。中くらいの似たようなレベルの5人で集まってずっと取り組んでも、実際に経験できる戦法は結局数十パターンで、それ以外には対応できません。それに比べて、初心者から上級者まで、色んなレベルの1000人が集まり、さらにその中の上位50名が集まって練習すれば、最低でも1000パターンの戦法に対応できる上に、より有効な50パターンと切磋琢磨することができます。前者と後者では、差は開き続けます。さらに、そのような状況は、新しい技や技の組み合わせを自然発生的にどんどん生み出します。これが爆発的発展の仕組みです。柔術の技術は、他の現代スポーツと同様に、この仕組みによってさらなる発展を続けています。

4.柔術が求めたのは、戦いでのリアル
   そして、充実した人生というリアル

しかしながら、誰もが強くなれるようになり、現代的な技術の発展を遂げた代わりに、その代償としてデメリットもあります。打撃がない格闘技は、とってもわかりにくい!柔術は、ゴロゴロしていてどっちが勝っているかわかりにくいですよね!とてもよくわかります。このことについて、国際ブラジリアン柔術連盟という世界最大の柔術連盟はこう言っています。「私たちは、わかりやすさという点でルールを決定したことは一度もありません。全ては、ストリートファイトでのセルフ・ディフェンスを前提として、『実践性』と『安全性』、そして、『道場指導との一貫性』と『実際の戦いでの進展』の面から考えられたものです。柔術のルールの根拠は、この4点に帰着します。」と。この考え方を他人に強要するつもりはありませんが、私はこの考え方が割と好きです。もし、柔術が原始的ななんでもありの格闘技のままだったならば、私はここまで柔術を続けることはできませんでしたし、柔術によって得られるたくさんのメリットを享受して、家族や友人、柔術仲間と楽しい時間を過ごすこともできなかったと思います。

このように、現在の柔術は、一般的な社会生活を送りながら、安全に上達できて、誰もが強くなれる格闘技として進化してきました。これは、柔術が「戦いでのリアル」を大切にし、さらに「人生をリアルに充実させること」を重視した結果です。ですので、打撃はありません。柔術に打撃がない理由がわかっていただけたでしょうか。

ルールによって、スポーツは形作られる

柔術は、その昔、異種格闘技で名を馳せました。しかし、それは重要なことではありません。昔よくされた「どの格闘技が最も優れているか?」の論争は、結局は価値観をズラして、言論でマウントをとることが目的なのだと思います。それは、ある種の日本人が好む幻想やロマンを生み出しますが、そもそも、ルール(価値観)が違う物事を比較することはできません。「見る側として幻想の中にいるお客さん」と、「ルールの中で目の前の物事に立ち向かうプレイヤー」ならば、私は後者でありたいと思っています。よく言論のマウントをとりたがる人がいますが、実際のマウントをとれるようになると、きっと物事の見方が変わるのだと思います。

スポーツはルールによって、作られます。そして、ルールによって、その姿形を変えます。

最も大切なことは、与えられたルールの中で、目の前の物事に集中することだと私は考えています。そして、目一杯その状態を楽しむことが、人生の幸福度を上げることにつながるのだと思います。スポーツにはそれぞれの素晴らしさがあり、どのスポーツをやっていても、真剣に楽しんでいる人は同等に素晴らしい価値を感じています。柔術道場では、柔術のルールの中で、その瞬間の今を生きてほしいと思います。

柔術に向いている人、向いていない人

柔術に向いていない人はいません。それぞれの体型や性格を活かした戦術が必ず見つかります。柔術は、未経験で始めますので、当然最初はできないことが多く、「自分は向いてないな」と思うことがあります。柔術を続けている人たちは、誰もがそう思ったことがあります。最初にこう思うのは当たり前で、実はコレ、「私たちは大人になって、『やったことがないことは、出来ない』という当たり前のことをいつのまにか忘れている」からなのです。そして、柔術を続けることで、子供の頃に感じていた『出来なかったことが、出来た!』の感覚を思い出すのです。柔術は、人生において大切な感覚を思い出させてくれます。そして、柔術を続けていれば、知らない間に、「その人なりの柔術」が得意になっています。これは柔術の不思議な魅力の一つです。ですので、誰もが続けてみる価値はあると思います。

 逆に、敢えて向いている人を挙げるとすると、いい意味で適当に続けられる人です。あまり自分へのハードルを高くせず、負けても、ちょっと悔しいけどしょうがないくらいに思える人は、最初から柔術にフィットします。ただし、これは、柔術を続けているうちにだんだんそう思えるようになってきますので、あんまり関係ありません。柔術はとにかく、楽しく続けることが大切な格闘技なんです。

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